琵琶湖南端にある橋に来ています。
ここは
「唐橋を制する者は天下を制す」と言われるほどの軍事・交通の要衝。
壬申の乱(671年)に始まり
治承・寿永の乱(1183・1184年)では、源義仲と平氏、源義経と義仲の戦場となりました。
承久の乱(1221年)だと、後鳥羽上皇方と鎌倉幕府方がここを挟んでの戦闘となっています。
武田好きな自分だと
武田信玄が西上作戦の途中で亡くなる間際に山県昌景を枕元に呼んで、「明日は瀬田に我が武田の旗を立てよ」と言い残したと言い伝え。
また大坂夏の陣が始まる前に、大阪城に籠城すべきか打って出るべきか揉めた時に幸村(信繁)が提示した策に、「瀬田と宇治の橋を落とせば秀忠軍は京に入れない」と言ったとか。
歴史好きな自分にはワクワクする橋『瀬田の唐橋』。
京都の宇治橋、山崎橋とともに日本三名橋・日本三大橋の1つです。
そして
江戸時代に「武士(もののふ)の やばせの船は 早くとも 急がば回れ 瀬田の長橋」という歌が詠まれ、
これが「急がば回れ」という諺の由来。
関東から京へ入るには、矢橋(やばせ)から大津へと琵琶湖を舟で突っ切るのが最短とされていましたが、ここは「比叡おろし」という強風が吹くため、舟が遅れる事がしばしばあったみたいです。
そのため、琵琶湖の南端の瀬田を回って行けば日程が狂うことはないので、距離が遠くても「急がば回れ」と言う言葉になったとの事。
めっちゃ色んな物が詰まっている橋です。
長かったね。すいません。
取り敢えず暫定的に日本を制しました😁